「北欧ブックマーケット at ひるねこBOOKS」出品予定の本03 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ - 3月 29, 2017 トーベ・ヤンソンの本も少し出品します。いちばん左は、ムーミンの代表的な作品16ストーリーが掲載されている「ムーミン大きな冒険小さな冒険」。フィンランド語版です。おばけのラーバンや、アンナちゃんで知られているインゲル&ラッセ・サンドベリの絵本もあります。いちばん左は、森に住む初年とお姫様のお話で、森の風景が素敵な絵本です。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
フィンランドのデザイナー カイ・フランクの本Kaj Frank|Universaaleja muotoja - 10月 19, 2016 イッタラのカルティオ、ティーマなどが有名な、北欧フィンランドのデザイナー、カイ・フランク。 この本は彼の誕生100周年を記念して出版された作品集です。 デザインプロダクツの他に庭園の設計やテキスタイルなど、 356ページにわたり美しい写真で紹介されています。 カイ・フランクの本をオンラインショップで見る >> elama.jp ▶︎ ▶︎ ▶︎
ノルウェー、ベルゲンの絵本画家 レイダル・ヨハン・バルレ - 9月 08, 2022 Reinsbukken Kauto frå Kautokeino 絵本を芸術の域にまで高めたと言われる画家・装丁家がノルウェーにいます。レイダル・ヨハン・バルレ Reidar Johan Berle 、 1917 年ノルウェーの古都ベルゲンに生まれ、 1997 年ベルゲンにて亡くなりました。その間、ベルゲン芸術工芸学校、オスロのノルウェー工芸産業学校(現オスロ芸術大学)、デンマーク王立美術院で美術を習得し、絵本・児童書を手掛けたのは 1950 〜 70 年代が中心でした。 ノルウェー人の心の故郷、ベルゲン 氏の故郷ベルゲンは、ノルウェー西岸に位置し、12世紀〜 18 世紀まで国際交易の拠点都市として国内最大規模を誇りました。現在は、壮大なソグネフィヨルド観光のメッカとして賑わいを見せています。深く濃く歴史の刻まれた古都であり、大自然のただなかの町として、ベルゲンは、ノルウェー人の心の故郷とも呼ばれています。 ゲニウス・ロキを宿す画家 レイダル・ヨハン・バルレ レイダル・ヨハン・バルレは、そんな風景の中に育ち、呼吸し、描いた人でした。北欧の新しい時代を吸収しながらも、その創作の根底には、極北ノルウェー西岸にひろがる固有のゲニウス・ロキを宿している、そんな気がします。 例えば、切り立つ断崖、青緑のフィヨルド、停泊する漁船、潮の香り、カモメの群飛、中世のままに並ぶ木造家屋や教会 …、寂寥とした景色の中に人や生き物が息づくゆたかさを表現する。人や生き物の中に、ユーモアや永遠を描きだす。そんな画家であったと思います。 12 Dager med hurtigruten|12日間ノルウェー沿岸船の旅 フィヨルド固有のゆたかさ を写しだす 1953 年に刊行された旅行ガイドブック「 12 日間ノルウェー沿岸船旅 12 DAGER MED HURTIG RUTEN 」。 大胆な構図と 3 〜 4 色刷りによる挿絵は、どんな色彩鮮やかな絵画よりもフィヨルド固有の風景を象徴的に表現しています。 カウトケイノから来たトナカイのカウト 1963 年刊行の絵本「カウトケイノから来たトナカイのカウト Reinsbukken Kauto frå Kautokeino 」。 ノルウェー南の町に売りに出されたトナカイのカウトが、遙か約 1200km 先の北の町カウトケイノへ戻る旅の物語。針葉樹 ▶︎ ▶︎ ▶︎
蛸壺とライ麦固パン -カイ・フランクの書籍について - 11月 10, 2022 カイ・フランクは、南カレリア地方に生まれました。 カイ・フランク( Kaj Franck 1911-1989 )は、スウェーデン系フィンランド人としてヴィープリ(現ロシア領のヴィボルグ)に生まれました。スウェーデン語を母国語とする少数派のフィンランド人として、フィンランドに先行するスウェーデンの手工芸運動をいち早く知る環境にもありました。 軍務の 5 年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。 1932 年ヘルシンキ中央工芸学校を卒業。ソ連軍との熾烈な「冬戦争」に突入した 1939 年に徴兵され、砲兵隊で過ごした 5 年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。生活環境も言語的背景も自分とは大きく異なる人々と連帯する中で「日常生活」の本質を問う姿勢が生まれした。 機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。 ヌータヤルヴィガラス窯にて 手前チェック柄のシャツの方が、カイ・フランク アアルト大学講義風景 戦後、アラビア製陶所、イッタラガラス窯、ヌータヤルヴィガラス窯に勤め、「ティーマ」や「カルティオ」など、機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。その手腕は世界的にも脚光を浴びました。また、デザイナーとしての作業とともに、デザイン教育につも重要な役割を果たし、現アアルト大学等でデザインの教鞭を取るなど後進の指導にもあたりました。 最後の展覧会、テーマは「日本との邂逅」。 日本から持ち帰った蛸壺 市井の 農家にて カイ・フランク自身の撮影 1989 年、カイ・フランクが亡くなったこの年、最後の展覧会がヘルシンキ美術デザイン大学ギャラリー( UIAH Gallery )で開催されました。「ルニング賞での日本への旅行 1956 ― アジアにおけるひとりの野蛮人 ―(Lunningmatka 1956 “ En Barbari I Asien ”) 」と題したこの展覧会では、日本の市井の写真や日本から持ち帰った鉄瓶、お面などとともに、フジツボが付着した蛸壺が象徴的に飾られました。日常で永く使い続けられる必然性こそデザインの本質であることを伝える意図が、そこにありました。 以下、カイ・フランクに関する主な書籍をご紹介します。 KAJ FRANCK MUOTOILIJAN TUNNUSTUKSIA FORM ▶︎ ▶︎ ▶︎
ヨブス姉妹がイラストを手掛けた楽譜本 - 2月 12, 2023 有機的な植物柄が印象的なスウェーデンの手刷りテキスタイル工房 〈 JOBS HANDTRYCK 〉。その創業者デザイナーの姉妹 リスベット・ヨブス ( Lisbet Jobs 1909 〜 1961 )と ゴッケン・ヨブス ( Gocken Jobs 1914 〜 1995 ) は、それ以前、陶芸家として活躍していました。 写真は、2人が1939年頃に表紙イラストを手掛けた貴重なヴィンテージの楽譜本です。 1939年当時、世界は第二次大戦へと突き進んでおり、ドイツナチスがポーランドに侵攻、11月にはフィンランド-ソ連の冬戦争が勃発しました。 スウェーデンは戦火を免れたものの、経済的な混乱や物資不足は深刻だったといいます。陶芸作家として活動していた2人 にとっても、作品制作は次第に困難となりました。 そんな時、「 陶芸で描いてきた様々な花柄のモチーフをテキスタイルに活かしてはいかが。」という NK(エヌコー・デパート) のテキスタイルデザイナーの奨めにより、ヨブスのプリント・テキスタイルが動き出しました。1944年のことです。 実は、写真右ゴッケン・ヨブス作画の楽譜本は1962年再出版のもの。中表紙には「TILL LISBET JOBS(リスベット・ヨブスへ)」とあります。リスベッドは、音楽家の夫との間にふたりの子をもうけ1961年に52歳の若さで急逝しています。 ▶︎ ▶︎ ▶︎
ムーミンキャラクター図鑑 Muumiopas - 7月 02, 2017 トーベ・ヤンソンの童話「ムーミン」のすべての登場人物を紹介したガイドブック Muumiopas - ムーミンキャラクター図鑑 ムーミンのお話のすべて、童話9冊・コミック42冊・ 絵本3冊より、物語の1シーンなどと共に、個性的なキャラクター達を紹介しています。 248ページの充実度と、ページのデザインが美しい、魅力ある1冊。 日本語訳版が、講談社より発売されています。 トーベ・ヤンソンの本をオンラインショップで見る >> elama.jp ▶︎ ▶︎ ▶︎