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デンマーク、器の世界 Danske STEL

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Danske STEL   〜 fra blå blomster til grove glasurer デンマークのサーヴィス 〜 青花から粗い染付まで デンマークの名陶「ロイヤル・コペンハーゲン」。藍のハンドペイントによる「ブルーフルーテッド」は有名ですが、1775年の開窯から現代に至るまで、様々な作家による サーヴィスの世界がひろがっています。本書は、その大きな流れを網羅的に知ることのできる数少ない一冊となっています。 本書が刊行されたいきさつについて   2010 年、デンマークの CLAY 陶磁器美術館( CLAY Keramikmuseum Danmark )は、 約 55,000 点に及ぶ歴史的価値のある食器アイテムの寄贈を ロイヤル・スカンジナビア・グループから 受けました。 このグループの傘下には「ロイヤル・コペンハーゲン」はじめ、デンマークで二番目に古い磁器製作所「ビング・オー・グレンダール( Bing og Grøndahl )」や陶器製作所「アルミニア( Aluminia )」があり、寄贈の品々は 18 世紀後期から現代に至るまでデンマークのサーヴィスすべてを網羅するものでした。 CLAY 陶磁器美術館での企画展 CLAY 陶磁器美術館では、これら寄贈の品々の展示整理を行った上、 2021 年に企画展「 Danske STEL -fra blå blomster til grove glasurer (デンマークのサーヴィス  - 青花から粗い染付まで)」を開催。同時に本書が刊行されました。 歴史的な変遷に沿った 20 カテゴリー   本書では、様々なデンマークのサーヴィスが、歴史的な変遷に沿って 20の カテゴリーで紹介されています。その主な作品群を取り上げますと… ロイヤル・コペンハーゲン開窯期   1775 年、王室後援により「ロイヤル・コペンハーゲン(王立磁器製作所)」が開設され、その第一号のデザインとなったのがブルーフルーテッド。デンマーク語では「 Musselmalet (ムースルメイルット : ムール貝)」。当陶磁器制作所を代表するデザインとして今日もなお多くのファンを引きつけてやみません。。 さらに「 Blå Blomst (ブロ・ブロムスト : 青花) 1779 年」、「 Flora Danica (フローラ・ダニカ) 179

蛸壺とライ麦固パン -カイ・フランクの書籍について

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カイ・フランクは、南カレリア地方に生まれました。   カイ・フランク( Kaj Franck 1911-1989 )は、スウェーデン系フィンランド人としてヴィープリ(現ロシア領のヴィボルグ)に生まれました。スウェーデン語を母国語とする少数派のフィンランド人として、フィンランドに先行するスウェーデンの手工芸運動をいち早く知る環境にもありました。   軍務の 5 年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。   1932 年ヘルシンキ中央工芸学校を卒業。ソ連軍との熾烈な「冬戦争」に突入した 1939 年に徴兵され、砲兵隊で過ごした 5 年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。生活環境も言語的背景も自分とは大きく異なる人々と連帯する中で「日常生活」の本質を問う姿勢が生まれした。   機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。 ヌータヤルヴィガラス窯にて 手前チェック柄のシャツの方が、カイ・フランク アアルト大学講義風景   戦後、アラビア製陶所、イッタラガラス窯、ヌータヤルヴィガラス窯に勤め、「ティーマ」や「カルティオ」など、機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。その手腕は世界的にも脚光を浴びました。また、デザイナーとしての作業とともに、デザイン教育につも重要な役割を果たし、現アアルト大学等でデザインの教鞭を取るなど後進の指導にもあたりました。   最後の展覧会、テーマは「日本との邂逅」。   日本から持ち帰った蛸壺 市井の 農家にて カイ・フランク自身の撮影 1989 年、カイ・フランクが亡くなったこの年、最後の展覧会がヘルシンキ美術デザイン大学ギャラリー( UIAH Gallery )で開催されました。「ルニング賞での日本への旅行  1956 ― アジアにおけるひとりの野蛮人 ―(Lunningmatka 1956 “ En Barbari I Asien ”) 」と題したこの展覧会では、日本の市井の写真や日本から持ち帰った鉄瓶、お面などとともに、フジツボが付着した蛸壺が象徴的に飾られました。日常で永く使い続けられる必然性こそデザインの本質であることを伝える意図が、そこにありました。   以下、カイ・フランクに関する主な書籍をご紹介します。   KAJ FRANCK  MUOTOILIJAN TUNNUSTUKSIA FORM

ARABIAの陶芸家、トイニ・ムオナ

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Toini Muona 1904-1987 オーガニック・モダニズム トイニ・ムオナ( Toini Muona 1904-1987 )は、 1931年にアラビア製陶所に入所。翌年、所内に創設された「アートデパートメント (美術部門)」 の初期メンバーとなり、1940年代50年代を中心に陶芸家として創作に注力しました。 温かくしなやかな作風、自然の造形美を思わせる奥深い表現手法は、「オーガニック・モダニズム」と評されました。本書は、トイニ・ムオナの陶芸作品を年代ごと順を追って紹介しています。大判の書籍で、見開きいっぱいに映し出される作品写真はとても印象的です。 そもそも 〝ARABIA〟は、 アラビア地区に創業 フィンランドのアラビア製陶所は、スウェーデンの名窯ロルストランド製陶所の子会社として、1873年ヘルシンキのアラビア地区に創業。当初は ロシア市場向けの陶磁器や衛生陶器などを生産していました。 1916 年に ロルストランド製陶所から独立すると、その後は、ヨーロッパ最大の規模にまで成長しました。 アート・デパートメント設立 1932 年、所内に「アート・デパートメント(美術部門)」が設立されます。この部門では作家が大量生産品の製造に係わることなく、 自由な創作の場の提供となりました。 アート・ディレクターには、クルト・エクホルム( kult Eckholm1907-1975 )。メンバーには、ビルゲル・カイピアイネン( Birger Kaipiainen1915-1988 )、ルート・ブリック( Rut Bryk1916-1999 )、キューリッキ・サルメンハーラ( Kyllikki Salmenhaara1912-1999 )等、そして本書が紹介するトイニ・ムオナが参加しました。 轆轤を回す トイニ・ムオナ 干し草   Heiniä 彼女の作品に特徴的なのは、1940年代頃からの筒花瓶で、風にゆれるようにたわんで 伸び上がるその形を、自身が「干し草(Heiniä)」と呼んでいました。この造形は、その後も引き継がれ様々なスタイルとともに変化していきました。 干し草(Heiniä) 1951年 ミラノ・トリエンナーレ金賞 1951年のミラノ・トリエンナーレでは、「干し草」とともに、青味を帯びた釉薬 と 銅紅釉 による花瓶が金賞を受賞しました。ふくよかな 器面全体

スウェーディッシュ・モダンの源流を訪ねて

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Lilli & Prinsen|100 år av hemslöjd och textil konst 産業革命のうねり 18世紀後半、イギリスに端を発した産業革命のうねりは、ヨーロッパへアメリカへと押し寄せましたが、一次産業が主であった北欧諸国へは100年近くの時差をもって到達・浸透することとなりました。今にして見ると、その時差は、その後の北欧モダンを育むために必要な大切な猶予期間だったのではないかと思います。 スウェーデン手工芸協会 とはいえ19世紀後半、例えば、スウェーデン各地の農業生産者・手工芸生産者は、近代工業化の勢いに押されるようにして困窮を極めていきました。その状況に応じて、生産と販売を支援する手工芸運動も活発化し、なかでも1899年に設立された「スウェーデン手工芸協会(Föreningen för Svensk Hemslöjd)」は、伝統的な手工芸生産者の生活を支えることに貢献したといいます。 リリィとエウシェン王子 その中心的な役割を果たしたのがテキスタイルデザイナーのリリィ・シッカーマン(Lilli Zickerman 1858-1949)と、彼女を支え続けたエウシェン王子(Prins Eugen Napoleon Nikolaus  1865-1947)でした。リリィは、1910年〜1932年にかけてスウェーデン全土を歩き、各地の手工芸による織物を調査し、約24,000枚の写真からなる伝統的な民族織物の目録を完成させました。 伝統からモダンへの継承 二人の献身的な活動は重要な意味を持ち、伝統的なテキスタイルデザインは、時代の変革期を経ても毀損されることなく、現代に至るスウェーデッシュ・モダンの中に継承されていったと言っても過言ではありません。 王子の邸宅の美術館にて 本書は、スウェーデン手工芸協会連合会(Hemslöjdsföreningarnas Riksförbund)創設100周年を記念し2012年に開催された企画展の図録です。会場は、ストックホルム、ユールゴーデンにある王子の邸宅を美術館にしたプリンス・エウシェン・ヴァルデマシュウッデ美術館(Prins Eugens Waldemarsudde)。伝統とモダン、その両方のテキスタイル・アートを対比して眺めることもできる美しい一冊となっています。 Lilli & Prin

3人のヨブス姉弟による手刷りテキスタイル

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Jobs keramik & textil ていねいに手刷りで仕上げられたヨブスの布地 いろとりどりの花々が一面に咲き誇るヨブスのテキスタイル。布地を部屋に飾るだけで心が潤います。一枚一枚をていねいに手刷りで仕上げられているせいか、実際に手に取ったとき風合いが深く感じられます 。工房の 「ヨブス・ハンドトリュック〈 Jobs handtryck 〉」は、スウェーデン、ダーラナ地方。緑と湖水の青がまぶしいシリアン湖の西にあります。 創業は1944年。ペール・ヨブス ( Peer Jobs 1913-1989 )、 リスベット・ヨブス ( Lisbet Jobs 1909 〜 1961 )、 ゴッケン・ヨブス ( Gocken Jobs 1914 〜 1995 )の 兄弟姉妹を中心にスタートしました 。 陶芸作家から、テキスタイルデザイナーへ 創業以前、リスベットとゴッケンの姉妹は、 ストックホルムに陶芸工房を開き、陶芸作家として活動していました。二人 は 1937年 パリ万博、 1939年NY 万博に出品するなど陶芸作家として国際的にも注目されていたところでした。 1939年に第二次世界大戦が開戦となり、スウェーデンは戦火を免れたものの、経済的な混乱や物資不足は深刻だったといいます。二人の陶芸作家にとっても、良質な粘土や釉薬などの素材供給の制限がかかり、作品制作も次第に困難となってきました。 そんな時、「 陶芸で描いてきた様々な花柄のモチーフをテキスタイルに活かしては、いかが。」 NK(エヌコー・デパート) のテキスタイルデザイナーの奨めにより、ヨブスのプリント・テキスタイルが動き出しました。ペールが仲間と立ち上げていたシルクスクリーン工房の活動とともに。 Jobs keramik & textil Jobs keramik & textil ちなみにリスベットは、音楽家の夫との間に二人の子供をもうけ 1961 年に急逝。 1940 年代の前半までの陶芸活動によって、『スウェーデンを代表する女性陶芸家』としても名前を残しました。 一方、ゴッケンは生涯独身で、数多くのテキスタイルデザインを世に送りました。ヨブス工房以外の作品依頼にも応じ、スウェーデンのテキスタイル業界で、さまざまな功績を残しています。 ヨブスの本をオンラインショップで見る &g

3人の"アアルト"のテキスタイル図案

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Aaltojen kuviot Alvar, Aino ja Elissa Aallon Suunnittelemat tekstiilit 著書名 : アアルトの図案       アルヴァ、アイノ、エリッサ アアルトがデザインしたテキスタイル   アルヴァ・アアルトが設計した私邸、ヴィラ・タンメカン   エストニアの大学都市タルトゥの郊外に、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトが設計した数少ない私邸があります。ヴィラ・タンメカン( Villa Tammekann )と言い、エストニアの地理学者アウグスト・タンメカン教授の委託による 1932 年の建築です。   80 年以上の歳月を経て出会ったテキスタイル   本書の著者、エストニアのインテリア研究者・デザイナー Taru-Orvokki Leskinen は、トゥルク大学(私邸現所有者)の依頼によりこの私邸内のテキスタイルデザインに関する論文をとりまとめました。その際、初めて建物内に入った時の感想として、室内にアイノ・アアルトによる植物柄のテキスタイルが、カーテンとして飾られ、8 0 年以上を経ても変わらぬその美しさにとても感銘を受けたといいます。 ※氏の論文は、下記からご覧頂くことができます。 Leskinen, Taru-Orvokki 2018 : Aaltojen kuviot. Alvar, Aino ja Elissa Aallon suunnittelemat tekstiiilit.  Opinnäytetyö.  Lahden ammattikorkeakoulu.  https://urn.fi/URN:NBN:fi:amk-201902212573   アアルトのテキスタイルデザイン研究へ   以来、氏はアアルトのテキスタイルデザイン研究に没頭することとなりました。博物館の奥にアーカイブとして眠る様々なテキスタイルの試作やデザイン画を、誰もが眼にすることができる形にしたいと。この趣旨に賛同協力したのは、ユヴァスキュラのアアルト博物館、アアルト等が立ち上げた企業アルテックなど。そして、この書物が刊行され、フィンランド国内を巡回する展覧会が開催されました。   アアルトという 3 人の建築家   申し上げるまでもなくアルヴァ・アアルト( Alvar Aalto1898-1976 )は、フィンラ

近代照明の父 ポール・ヘニングセン

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Om Lys|Poul Henningsen 建築家として直面した光の問題 “近代照明の父”と呼ばれ、 PH シリーズなどの照明デザインの名作を生みだしたポール・ヘニングセン( Poul Henningsen1894-1967 )。はじめは、一般労働者のための快適な住まいづくりという理想にもえた建築家でした。その作業過程の中で、光環境の重要性、新しい照明の計画が住宅開発には欠かせないことを思い知ったのです。   当時、室内装飾でしかなかった照明器具 19 世紀終盤に発明された白熱電球は、 20 世紀に入ると実用化へ向かいましたが、一般の住宅で使われることは非常に少なく、依然キャンドルやオイルランプが主流でした。照明器具といっても、シャンデリアのような室内装飾の意味合いが強かった時代のことです。   空間づくりの視点から明かりを考える 空間づくりの視点から明かりを考える姿勢は、同時代フィンランドの建築家アルバー・アアルト( Alvar Aalto1898-1976 )の志向に通じるものですが、ポール・ヘニングセンは、空間設計ではなく、光の環境そのもの、照明器具そのものの新しい理論と設計へ向かっていきました。   イニシャルを冠した「 PH ランプ」の原点 様々なスタイルで展開されている PH ランプの原点となったのは、金属 3 枚シェードの「フォーラムランプ」、 1926 年頃の作品です。そこに至るまでには、配光とグレア ( まぶしさ ) の問題を克服するため様々な試行錯誤と試作・作品が制作されました。大きな一歩を踏み出すこととなったのは、 1925 年にパリ万博へ出品した金属 6 枚シェードの「パリランプ」によってでした。   光の理論家であり編集者であった 自身の手になる著書はないのですが、 1941 年ルイスポールセン社広報誌「 NYT ( new )」創刊にあたり編集長となり、それ以外にも、「 Politiken 」「 Social Demokraten 」等の新聞において論説委員を務め、それら各紙誌が理論構築発表の場となりました。本書は、それらの照明理論を中心に編纂された集大成で 3000 部限定で没後の 1974 年に出版されました。   PH グランド・ピアノ ポール・ヘニングセンは、建築家、照明デザイナー以外にも、時事評家、映画監督、シンガーソングライ

光の彫刻家、ティモ・サルパネヴァ

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20 世紀後半、フィンランドデザイン界で最も才能豊かなクリエイターと言われたティモ・サルパネヴァ( Timo Sarpaneva 1926-2006 )。本書は、彼がグラスアートを越え、光の彫刻家であることを物語っています。 ティモ・サルパネヴァは、 1926 年フィンランド・ヘルシンキ生まれ。ヘルシンキ芸術デザイン大学でグラフィックデザインを学び、戦後 1951 年、 Iittala 社に入社。デザイナーとして、現代グラスアートの世界を切り開きました。彼は、様々な作風=作品世界を極めてコンセプチュアルに仕立て上げている所があります。以下代表的なグラスアートのコンセプトに沿って整理してみます。   《オルキディア   ORCHID / ORKIDEA 》 彼が才能を発揮したのは Iittala 社に入社間もなく 1950 年代のこと。 1954 年に発表したフラワーベース 「 ORCHID / ORKIDEA (欄)」は、同年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。 Timo Sarpaneva|Taidetta lasista - Glass art 澄みきったガラスのなかに、そっと息を吹きこんだよう に気泡がふくらみ、その気泡は、陽の光を受けて、神秘 的なシエットを浮かび上がらせる。このフラワーベース は、ひとつとして同じ形のものは存在せず、それは、ガ ラス素材をありのままに生かす手吹きによってつくられ ているからです。硬質なガラス素材が、本来備えている 「柔らかさ」を引き出した所に、このシリーズの特徴 があります。   《  I- ライン  I-LINE / I-LINJAN 》 1956 年以降、サルパネヴァはアートグラスとは別に日常使いのプロダクトにも挑んでいます。「 I-LINE / I-LINJAN 」がそれで、 1957 年ミラノトリエンナーレで 2度 目のグランプリを受賞。世界的に注目を浴びました。 Timo Sarpaneva|Taidetta lasista - Glass art ボウル、プレート、タンブラー、ピッチャーなど幅広いラインナップがあり、全てが薄い手吹きガラスによるブレーンなシリーズ。実用的な機能性に富みながら、ガラス素材の特性を活かしたマットなカラー、色彩のグラデーションが、アートの佇まいを感じさせます。 サルパネヴ