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8月, 2022の投稿を表示しています

マリア・オーストレムの可愛い作品集

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スウェーデンのテキスタイルデザイナー、Maria Åström - マリア・オーストレム(1948〜)の 可愛い作品集「 Mönsterträdgård - パターンガーデン 」。 ヨセフ・フランクやウィリアム・モリスの流れを受け継いだデザイナーといわれ、 花々や樹木、果実などを題材にした有機的なパターンが作品の中心です。 それらの美しい布地は、室内に飾ると心がとても潤います。 スウェーデンの老舗ファブリックメーカー、Ljungbergs(ユンバリ)社の デザイナーでもある彼女のオーガニックなライフスタイルが垣間見える、素敵な本。 イケアで一番人気と言えるファブリックデザイン「STOCKHOLM BLAD」も彼女作品です。 In store now >> elama.jp

ベルント・フリーベリ Berndt Friberg の数少ない専門書

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  スウェーデンの陶芸家 ベルント・フリーベリ ( Berndt Friberg1899 ~ 1981 )は、スウェーデン南部、窯業の町 ホガナス (Höganäs)で誕生。陶工の家系で、 13 歳の頃から 陶磁器工場で働き始め、以降 、スウェーデン、デンマーク小都市の町工場に勤め、轆轤職人として技量を上げていきました。 1934 年、グスタフスベリ製陶所に雇用される。当製陶所は、スウェーデン陶磁器デザインの革新者であったウィルヘルム・コーゲ(Wilhelm Kåge 1889-1960 )がアートディレクターを務める大手企業でしたが、高度な轆轤技能を持つフリーベリの着任は、グスタフスベリ製品の品質を大幅に向上させました。また、コーゲに師事したことや様々な人脈形成によってフリーベリ自身の作品も洗練の度を高めていきました。 1944 年には製陶所内に自らの工房を設立、一介の轆轤工が当代一流の陶芸家として遇されるようになりました。この 1940 〜 70 年代、コーゲ、フリーベリ、さらにスティグ・リンドベリ( Stig Lindberg1916-1982 )が中心となり、グスタフスベリ製陶所は黄金期を迎えることにもなりました。 フリーベリの作品は、細い頸を伸ばした端正な造形のヴェースや、優美に波打つシルエットの茶碗など高度な轆轤技術に裏打ちされたフォルムが印象的です。同時に東洋の古陶磁にインスパイアされ、独自の解釈による釉薬の使用にも大きな特徴があります。 1948 年、 51 年、 54 年にはミラノトリエンナーレにて金賞を受賞。 本書は、ウールフ・ホード・オフ・セーゲルスタード(Ulf Hård af Segerstad 1915-2006 : スウェーデンの美術デザイン史家、スウェーデン工芸協会が発行するデザイン雑誌 FORM 編集者)による、数少ないフリーベリに関する専門書で、フリーベリ・ファンのマストアイテムともなっています。 当時著名作家の多くが陶芸以外の分野にも活動領域を広げたのに対し、フリーベリは終生轆轤と釉薬調合を究め、硬質さと日常の用にもふさわしい温もりを湛えた、北欧ならではの器の世界が生みだしました。本書には、白衣姿で轆轤を操るフリーベリ自身の創作風景、様々な釉薬による表現手法が紹介されています。 この商品をオンラインショップで見る >&g

北欧デザイン年表

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イギリスに端を発する産業革命は、当時後進だった北欧の国々の、手工芸の世界をゆるやかに変えて行きその経緯のなかで、現代に至るスカンディナビアン・デザインは形づくられていきました。 彗星のように登場した作家やデザイナーは、手工芸と工業を、それぞれ独自の思いと手法によって昇華させ、世に表し、次の時代へ手渡して行ったのだと思います。 ただ、それぞれの時に、おそらく現代からは想像を絶するような社会的、世界経済的、政治的なうねりが幾重にも押し寄せ、人々は、波間に浮かぶ木の葉のように揺さぶられたに違いありません。 ひとりひとりの作家やデザイナーの創作は、その背景まで含めて見晴らすことでしか理解できないのではないか。そんな思いから、自身の理解のため簡易な年表を作成してみました。まだまだ未完成ですので、気が付くたびに改訂して行きたいと思います。お気づきの点があれば、お教えください。よろしくお願いいたします。 【 北欧デザイン年表  Scandinavian Design Chronology 】をみる 北欧の洋書店 エラマブックス >> elama.jp

踊るダマスク織り作家 Den Dansande Damastvävaren

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手芸や織物というと女性の領域と考えがちですが、近代スウェーデンには、ダマスク織りの技法とデザインを究めた男性作家がいました。本書は、1920〜40年代を中心に活躍したダマスク織り作家「カール・グスタフ・ヴィドルンド(Carl Gustaf Widlund1887-1968)」の生涯と作品を綴った一冊です。 彼は、タンゴやルンバを踊る気さくでウィットに富んだ紳士である一方、傲慢で不機嫌な職人でもありました。それでも、彼がスウェーデンで最も習熟したダマスク織り作家のひとりであり、伝統的なデザインへの造詣の深さについては、誰もが認めるところでした。 ヨーテボリ(Göteborg)生まれ。早くから織物に興味を持ち、10代〜20代前半にかけて、ストックホルムのヨハンナ・ブランソン織物学校、ボロースのテキスタイル・インスティテュート(ボロース大学)で織物技法を習得。1910年以降、20代にヨーロッパ各地へ遊学。出かけた先は、ドイツのクレーフェルト織物学校、パリ、シルク生産の中心地リヨン、ボルドー、マドリッド、トレド、イタリア各都市、さらに北アフリカに渡りモロッコ、チュニジア、ロシア方面へも足を伸ばしたといいます。 30を過ぎた頃、スウェーデン中西部ヴェルムランド地方(Värmland)に屋敷を構え、農業に従事しつつ織物工房を開設。以降、様々なの作品・製品を世に出し、数々の受賞に輝き、当時スウェーデンのアーティストや企業家との交流を深め、最後まで、日々織物職人として織機の前に座したといいます。 1968年、81歳の生涯を終えると、遺言により彼の所有していたの織機11台、織物道具、書物、広く集められた資料等は北方民族博物館(Nordiska Museet)に寄贈されました。 ダマスク織りは、シルクロードを源流としてヨーロッパに伝わり、やがて各地に広がっていきました。また、スエーデンにはスウェーデンの家内手工芸の文化が蓄積されていて、彼は2つの流れを自身の中に束ね、北欧の次の時代へ手渡して行った、そんな存在だったのではと思います。 この商品をオンラインショップで見る >> elama.jp

アルネ・ヤコブセンによるビルディング・デザイン STELLINGS HUS

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Stellings Hus   2002年、アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen1902〜1971)生誕100年を記念してルイス・ポールセンからペンダントライト “Stelling Pendler〈Stelling Pendants〉” が限定復刻されました。乳白色のシェードに柔らかな光が灯るこの照明器具は、名前の通り、本書のビルディング「Stellings Hus〈Stelling’s House〉」の1階店舗に下げられていました。 場所は、コペンハーゲンの歴史的中心部ガンメルトーフ(Gammeltorv)広場の一角。画材会社を営むStelling 氏の依頼を受けアルネ・ヤコブセンが設計し、1938 年に完成しました。 建物は、鉄筋コンクリート造6階建て。1・2階は深緑に塗装された鋼板で覆われ、上層部はグレーイッシュな53×53の正方形タイル貼り、窓はそのタイルの3倍角で統一されたグリットデザイン。 当時、鋼板とセラミックタイルで仕上げられた外観は、周囲の伝統的な石積みの建物に対し違和感があったらしく、建設中および完成後多くの論争と批判が引き起こしました。アルネ・ヤコブセンの建築を禁止することさえ叫ばれました。後年1991年、コペンハーゲン市指定建造物に認定。 アルネ・ヤコブセンにとっては、ベルビューピーチ〈Bellevue Strand〉開発の白い機能主義から、オーフス市庁舎の設計へと、より北欧らしいモダニズムへと移行する、そんな時期のプロジェクトでもありました。 本書には、初期のスケッチ画や、設計確定時期の外観立面、各階平面など掲載されおり、北欧モダン建築の礎を築いたアルネ・ヤコブセンの仕事ぶりが強く感じられます。また、先の照明器具をはじめ内装の扉、階段手摺り、さらにドアノブに至るまで自身によるデザインで、それぞれクローズアップされた写真も魅力的です。 本書は、2002年生誕100周年時に発行され、表紙はモノクロームの外観写真を中心に、正方形タイルを暗示させるグレーイッシュなカラーリングとデザインとなっています。 Stellings Hus この商品をオンラインショップで見る >> elama.jp

アルネ・ヤコブセン設計のリゾート・シアター

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Bellevue Teatret コペンハーゲンから郊外電車で北へ20分。クランペンボー(Klampenborg)の海岸沿いに、 アルネ・ヤコブセン ( Arne Jacobsen 1902〜1971)が手掛けた海浜リゾート「ベルビュー地区(Bellevue-området)」があります。開発は1930年代を通して進められ、青と白のストライプでカラーリングされた監視塔、ベルビューコスタル・バス、乗馬クラブ、ベラビスタ集合住宅、ベルビュー・シアター、テキサコ・ガソリンスタンド、カヤッククラブ施設などが並ぶデンマーク初の大規模リゾート地区として1938年に完成しました。 本書は、その中でも特に主要な建築作品「ベルビュー・シアター(Bellevue Teatret)」にフォーカスした一冊となります。設計には、サマーシアターらしい開放感やカジュアルさに富んだデザインが採用され、青と白のストライプ柄キャンバスによる壁、竹やラタンなどの活用、オーディトリウムは星空が眺められる開閉式の天井に。客席はゆらめく波を表現して、当時最先端技術の成型合板によりフリッツ・ハンセンで生産されたといいます。 また本書では、ベルビュー・ビーチ参画以前「未来の家」を設計した時代から、次のオーフス市庁舎設計へと移行するアルネ・ヤコブセンの足取りが様々なドローイングと写真を用いながら解説されています。もちろんベルビュー・シアターの1937年開館以降、リゾート地の劇場として様々なエンターテイメントの舞台となったことも記録されています。表紙は、アルネ・ヤコブセンによる当時のベルビュー・レビューのポスターが使われています。 Bellevue Teatret Bellevue Teatret この商品をオンラインショップで見る >> elama.jp

フィンランドのテキスタイルアーティスト DORA JUNGの美しい本

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Dora Jung ヘルシンキ市南端にあるカイヴォプイスト公園(Kaivopuist)。海と空の青、そして豊かな緑の景色が広がるこの公園にドラ・ユング(Dora Jung1906-1980)は居を構え、デザインの構想を練っていたといいます。 1929年、中央芸術工芸学校(Taideteollisuuskeskuskoulu/現アアルト大学)に繊維部門が開設されるとともに入学。1932年卒業し、自身のアトリエDora Jung Textilを設立しました。 ARTEK創立者マイレ・グリクセン(Marie Gullichsen1907-1990)のサポートもあり、アイノ&アルバー・アアルト(Aino1894-1949&Alvar Aalto1898〜1976)との協業によるサボイ・レストランインテリアデザイン事業(1937年)など、様々なキャリアを積みました。 一方で、参加事業に自身のデザインによるテキスタイルを提供する都合もあり、大量生産可能なジャガード織機を導入したタンペラ社との協業も開始。 1939年〜45年のソ連との大戦により活動の中断も余儀なくされましたが、1947年ARTEK主催の展示会に参加。翌1948年には初の個展をストックホルムで開催するなど、戦後は、それまで蓄積してきたデザインのエッセンスを存分に発揮しました。 とりわけ、1951年、54年、57年とミラノトリエンナーレで立て続けにグランプリを受賞。伝統的なダマスク織りを北欧モダンの世界に組み替えた作品群は、国際的な注目を集めました。 氏の作品の特徴は、モチーフの輪郭を強調し色調を抑えたものでしたが、1958年アメリカへの視察旅行を経て色彩の新たな捉え方を見いだしました。1960年のミラノトリエンナーレには、斬新な色使いによる印象的なQuattroを出品。ダマスク織りがアートの新しい表現手法であることを世に広く知らせることになりました。 1972年にデザインされたPerhonen(Butterfly)は、タンペラ社に提供した最後の図案となり、1980年クリスマス直前に亡くなりました。国際的に高い評価を集めたタンペラ社ダマスク織り工場は翌年1981年に閉鎖となりました。 Dora Jungの、デザイナーとして歩んだドラマチックな人生が、美しい写真とともに構成された素敵な一冊です。 Dor