投稿

9月, 2022の投稿を表示しています

フィンランドのテキスタイルブランド、VUOKKO ヴオッコ

イメージ
Jätti-näky 1981 北欧フィンランドのテキスタイルブランド 「 VUOKKO (ヴオッコ)」。 シンプルなストライプ基調のデザイン、だけど個性的で存在感のあるデザイン。カーテンにしても、テープルクロスにしても、とても様になるデザインです。 VUOKKO (ヴオッコ)は、 フィンランドのデザイナー  ヴォッコ・エスコリン・ヌルメスニエミ( Vuokko Eskolin Nurmesniemi )が立ち上げたフランドです。 Milanon ihme|The wonder of Milan|ミラノの奇跡 グラスウェアのデザイナーとしてスタートしました。 彼女は、 1930 年ヘルシンキ生まれ。 Institute of Industrial Arts (Taideteollinen oppilaitos) で、セラミックを専攻。卒業後は、アラビア製陶所やヌータヤルヴィでグラスウェアのデザイナーとしてキャリアをスタートさせました。 1957 年には第 6 回ミラノトリエンナーレでゴールドメダルを受賞しています。 Marimekko elämää|マリメッコライフ Marimekko elämää|マリメッコライフ Marimekko elämää|マリメッコライフ    マリメッコの全盛期を支えるテキスタイルデザイナー。 1953 年にマリメッコの創業者アルミ・ラティア( Armi Ratia )の誘いを受け、テキスタイルデザインを手掛けはじめます。当時マリメッコのデザイナーだったマイヤ・イソラ( Maija Isola )ととともに、様々なデザインを発表し、マリメッコの全盛期を支えました。彼女のシグネチャー・ストライプとして有名なのが「ヨカポイカ  Jokapoika 」のシャツではないかと思います。 Metsä-73 1973 オリジナルブランドVUOKKO Oyを創業。 やがて 1960 年には、マリメッコから独立。 VUOKKO Oy を創業。 1964 年第 13 回ミラノトリエンナーレで、夫のアンティ・ヌルメスニエミ( Antti Nurmesniemi )とともに手がけたフィンランドブース(内装)のデザインでグランプリを受賞しました。 フィンランドを代表するファッションデザイナーへ。 彼女のデザインは、テキスタイルだけに留まらず、アパレルやインテリ

ノルウェー、ベルゲンの絵本画家 レイダル・ヨハン・バルレ

イメージ
Reinsbukken Kauto frå Kautokeino 絵本を芸術の域にまで高めたと言われる画家・装丁家がノルウェーにいます。レイダル・ヨハン・バルレ Reidar Johan Berle 、 1917 年ノルウェーの古都ベルゲンに生まれ、 1997 年ベルゲンにて亡くなりました。その間、ベルゲン芸術工芸学校、オスロのノルウェー工芸産業学校(現オスロ芸術大学)、デンマーク王立美術院で美術を習得し、絵本・児童書を手掛けたのは 1950 〜 70 年代が中心でした。 ノルウェー人の心の故郷、ベルゲン   氏の故郷ベルゲンは、ノルウェー西岸に位置し、12世紀〜 18 世紀まで国際交易の拠点都市として国内最大規模を誇りました。現在は、壮大なソグネフィヨルド観光のメッカとして賑わいを見せています。深く濃く歴史の刻まれた古都であり、大自然のただなかの町として、ベルゲンは、ノルウェー人の心の故郷とも呼ばれています。 ゲニウス・ロキを宿す画家 レイダル・ヨハン・バルレ レイダル・ヨハン・バルレは、そんな風景の中に育ち、呼吸し、描いた人でした。北欧の新しい時代を吸収しながらも、その創作の根底には、極北ノルウェー西岸にひろがる固有のゲニウス・ロキを宿している、そんな気がします。 例えば、切り立つ断崖、青緑のフィヨルド、停泊する漁船、潮の香り、カモメの群飛、中世のままに並ぶ木造家屋や教会 …、寂寥とした景色の中に人や生き物が息づくゆたかさを表現する。人や生き物の中に、ユーモアや永遠を描きだす。そんな画家であったと思います。 12 Dager med hurtigruten|12日間ノルウェー沿岸船の旅 フィヨルド固有のゆたかさ を写しだす 1953 年に刊行された旅行ガイドブック「 12 日間ノルウェー沿岸船旅 12 DAGER MED HURTIG RUTEN 」。 大胆な構図と 3 〜 4 色刷りによる挿絵は、どんな色彩鮮やかな絵画よりもフィヨルド固有の風景を象徴的に表現しています。 カウトケイノから来たトナカイのカウト   1963 年刊行の絵本「カウトケイノから来たトナカイのカウト Reinsbukken Kauto frå Kautokeino 」。 ノルウェー南の町に売りに出されたトナカイのカウトが、遙か約 1200km 先の北の町カウトケイノへ戻る旅の物語。針葉樹

リーサ・ヨハンソン・パッペが在籍した フィンランド オルノ社の照明デザイン

イメージ
Orno|valaisinmuotoilua 照明デザイナーの石井幹子さんは、かつて、北欧のインダストリアル・デザインを習得するためフィンランドへ渡りました。1965年のことです。当時、オルノ社のチーフ・デザイナーだったリーサ・ヨハンソン・パッペ氏(Lisa Johansson Pape 1907–1989)にアシスタントとして採用され、照明器具デザイナーの道を歩みはじめました。 リーサ・ヨハンソン・パッペ氏のアシスタントへ 石井さんの著書『フィンランド白夜の国に光の夢』で当時の様子が語られています。今とは違って、はるかシベリア鉄道を使った五日間の旅路。ヘルシンキに辿り着いて、『「ああ、明かりの国に来たな」という実感が湧いてきました。』とあります。 Orno|valaisinmuotoilua オルノ社は、フィンランドで最も古い照明器具メーカー オルノ社は、フィンランドで最も古い照明器具メーカーとして、1921年ヘルシンキで設立され、2001年にその幕を閉じました。石井さんが在職していた頃は、ヘルシンキのデパートSTOCKMANNの資本傘下に入り、同社が最も輝いていた時期ではなかったかと思います。 柔らかな曲線と温かみのある表情を備えた照明デザイン クールモダンとはちょっと違う、柔らかな曲線と温かみのある表情を備えたデザイン。レトロな雰囲気をたたえたオルノ社の照明器具は、今や北欧ビンテージコレクター垂涎の的です。 本書『ORNO』 は、同社の照明器具デザインの歴史、特に戦後の社会情勢や技術の進展、新しい素材の活用にともなうデザインの変化について考察しています。また、パッベ氏はじめ、グニラ・ヤング(Gunilla Jung1905-1939)、ユキ・ヌミ(Yki Nummi1925-1984)、スベア・ウィンクレア(Svea Winkler1924-2003)など著名なデサイナーとその作品を紹介しています。また、1963年から参加していた日本のデザイナー鈴木庄吾(1932-1991)についても触れています。 Orno|valaisinmuotoilua Orno|valaisinmuotoilua この商品をオンラインショップで見る >> elama.jp

エスポ―現代美術館 カイピアイネン回顧展図録

イメージ
Birger Kaipiainen|ビルガー・カイピアイネン 緑濃い針葉樹の森の街の美術館にて フィンランドのセラミックアーチストBirger Kaipiainen ( ビルゲル・カイピアイネン1915 - 1988 )。氏の生誕 100 年を前にして、 2013 年 6 月~ 2014 年 12 月、エスポー現代美術館( EMMA )にて回顧展が開催されました。 当時はヘルシンキからエスポーへ通じる地下鉄は なく、バスを利用して緑濃い針葉樹の森の街へ出かけたことを記憶しています。 GEEWEE という旧印刷工場をリノベしたスクエアで現代的な建 物内に美術館はあり、フィンランド最大規模。 アラビア製陶所で同僚だった Rut Bryk (ルート・ブリュック 1916- 1999 )の作品を数多く収蔵しています。 カレリア湖水地方とイタリア・ルネッサンス カイピアイネンの耽美的で、浪漫主義的なデザイン作品の数々は、手工芸を踏まえた北欧デザインとも、インダストリアルを前提とした北欧モダンとも少し違う、独特の世界感を表現しています。それは、彼が幼児期を過ごしたカレリア湖水地方の自然体験が創作の原点となったとも、イタリアミラノへの留学による ビザンチン様式、ルネッサンス美術の吸収によって洗練されたものとも言われています。 Birger Kaipiainen Birger Kaipiainen Birger Kaipiainen “ スミレ ”というモチーフが持つ意味について 本書はその回顧の展図録となります。表紙は、どこか宝石箱を思わせるベロア調の装丁、見返しはスミレのモチーフデザイン。スミレは、カイピアイネン最愛の妻 Maggi Halonen (マギー・ハロネン 1918-1966 )への愛情の印。二人は マリメッコ創業者 Armi Ratia (アルミ・ラティア 1912-1979 )を介して知り合いましたが、結婚生活は 8 年という 短いものだったといいます。以来、スミレはカイピアイネンにとって作品の重要なモチーフとなりました。 Birger Kaipiainen カイピアイネンの本をオンラインショップで見る >> elama.jp

デンマークで最も愛された絵本作家 アルネ・ウンガーマン

イメージ
デンマークの絵本作家と言えばアンデルセン( 1805-1875 )ですが、デンマークで最も有名な20世紀の絵本作家と言えば、アルネ・ウンガーマン (Arne Ungermann1902-1981)  ではないかと思います。 若くしてリトグラファーに弟子入りし絵を学び、 1924 年、 22 歳の時にコペンハーゲンの新聞社 Politiken  広告部門に採用されます。翌年には早くも、最初の漫画が新聞に掲載され、 1930 年に入ると、他社の新聞、雑誌などに寄稿するまでとなりました。   人気の新聞連載漫画作家となったアルネ・ウンガーマン   1935 年、新聞 Politiken 日曜版 Magasinet に紙面 1 ページを割いてシリーズ漫画の掲載が始まりました。タイトルは、「 Hanne Hansen 」。オルセン家に雇われた若くて素朴な家政婦ハンネ・ハンセンの物語で、デンマーク人の日常をユーモラスなエピソードとともに描いたシリーズは、読者の間で人気を博しました。連載は 1958 年まで続いたといいます。(長谷川町子の「サザエさん」のような感じでしょうか。) 1940 年ごろから、絵本・児童書の作家活動を本格化させて   1940 年代に入る頃から、共著含めた絵本・児童書の執筆が多くなっていきます。代表的な著書には、「世界にたったひとりのパッレ  Palle alene i verden 1942 年」「アベル・スペンダベル  Abel Spendabel 1945 年」「天空の城  Luftkastellet 1947 年」「ロッテの変身  Lottes forvandling 1949 年」、シュールな世界を独特のタッチで描く「 4 人の子どもたちとミス猫とクワァンキ - ワァンキの物語  Histrien om fire børn, en missekat og en kvanki-vanki 1950 年」「ティンカと人形の乳母車  Katinka og Dukkevognen 1958 年」など。 「太陽が風邪を引いたとき  Da Solen blev forkølet   」で児童図書賞を受賞   太陽が風邪を引くと、街から色がなくなって…という設定は、陽光の少ない北欧ならでは。 1960 年に出版された絵本「太陽が風邪を引いたとき  Da Sol