3人の"アアルト"のテキスタイル図案


著書名 : アアルトの図案    
アルヴァ、アイノ、エリッサ アアルトがデザインしたテキスタイル
 

アルヴァ・アアルトが設計した私邸、ヴィラ・タンメカン
 
エストニアの大学都市タルトゥの郊外に、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトが設計した数少ない私邸があります。ヴィラ・タンメカン(Villa Tammekann)と言い、エストニアの地理学者アウグスト・タンメカン教授の委託による1932年の建築です。

 
80年以上の歳月を経て出会ったテキスタイル
 
本書の著者、エストニアのインテリア研究者・デザイナーTaru-Orvokki Leskinenは、トゥルク大学(私邸現所有者)の依頼によりこの私邸内のテキスタイルデザインに関する論文をとりまとめました。その際、初めて建物内に入った時の感想として、室内にアイノ・アアルトによる植物柄のテキスタイルが、カーテンとして飾られ、80年以上を経ても変わらぬその美しさにとても感銘を受けたといいます。

 

アアルトのテキスタイルデザイン研究へ

 以来、氏はアアルトのテキスタイルデザイン研究に没頭することとなりました。博物館の奥にアーカイブとして眠る様々なテキスタイルの試作やデザイン画を、誰もが眼にすることができる形にしたいと。この趣旨に賛同協力したのは、ユヴァスキュラのアアルト博物館、アアルト等が立ち上げた企業アルテックなど。そして、この書物が刊行され、フィンランド国内を巡回する展覧会が開催されました。


 

アアルトという3人の建築家
 
申し上げるまでもなくアルヴァ・アアルト(Alvar Aalto1898-1976)は、フィンランドを代表する建築家ですが、彼の無名時代から歩みをともにしてきたのがアイノ・アアルト(Aino Aalto1894-1949)でした。彼女も建築家として、アルヴァとは公私ともにパートナーとして活躍しました。アアルト建築が持つ柔和なニュアンスは、彼女の示唆によるものと言われています。残念ながら、アイノは1949年、癌により55才の若さでこの世を去りました。
その後のアルヴァを支えたのがエリッサ・アアルト(Elissa Aalto1922-1994)でした。彼女も、建築家としてアアルトの建築事務所に勤務し、アイノの早すぎる死を迎えた後、1952年に夫婦となりました。アルヴァの死後、遺品や資料などの保存、管理に注力しました。また、エリッサの努力により、アルヴァの設計によるドイツEssen Opera Houseなどのプロジェクトは長い年月を経て完成しました。
アルヴァと二人の女性建築家。それぞれが夫婦であったという以上に、20世紀〝アアルト〟という建築・デザインの世界を構築した3人の同士であったと言えるでしょう。本書のテキスタイルデザインも、時々の3人の連携の中から生み出されたものでした。

アルヴァとアイノ・アアルト

エリッサとアルヴァ・アアルト

 
建築のマチエールとしての布地
 
アアルトについては、建築や家具、照明器具、ガラス器などは、様々な場面や書籍で論じられますが、アアルトのテキスタイルデザインがここまで体系的に整理され、通覧できる機会は今までなかったと思います。それは、アアルトを論じるということは、建築・空間設計を論じるということであり、そこに用いられる大理石やオリジナルのタイル、把手金具などと同様にテキスタイルも、そのいち素材として位置づけられて来たせいかも知れません。


 
穣な図案のバリエーション
 
また、アアルトの建築を構築する視点でデザインされたテキスタイルは、装う、飾る、裁縫することまで裾野をひろくした他のテキスタイルとは、趣をことにしている点も特徴といえます。ですが、3人がデザインしたテキスタイルは、現在普及しているSIENAH55等基本デザインの向こうに、計算し尽くされ、かつ豊穣な図案のバリエーションが計画されていたことも本書で知ることとなります。
ただの〝プリント布地〟といって済ますことの出来ない、人と自然の環境を纏う、特別な世界観を纏う。それは、テキスタイルの本来性が備える可能性なのかも知れません








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