蛸壺とライ麦固パン -カイ・フランクの書籍について


カイ・フランクは、南カレリア地方に生まれました。
 
カイ・フランク(Kaj Franck 1911-1989)は、スウェーデン系フィンランド人としてヴィープリ(現ロシア領のヴィボルグ)に生まれました。スウェーデン語を母国語とする少数派のフィンランド人として、フィンランドに先行するスウェーデンの手工芸運動をいち早く知る環境にもありました。
 

軍務の5年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。
 
1932年ヘルシンキ中央工芸学校を卒業。ソ連軍との熾烈な「冬戦争」に突入した1939年に徴兵され、砲兵隊で過ごした5年間は、彼の社会意識を大きく変えたと言います。生活環境も言語的背景も自分とは大きく異なる人々と連帯する中で「日常生活」の本質を問う姿勢が生まれした。

 
機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。

ヌータヤルヴィガラス窯にて 手前チェック柄のシャツの方が、カイ・フランク

アアルト大学講義風景

 
戦後、アラビア製陶所、イッタラガラス窯、ヌータヤルヴィガラス窯に勤め、「ティーマ」や「カルティオ」など、機能美にあふれた現代テーブルウェアの基礎をつくりました。その手腕は世界的にも脚光を浴びました。また、デザイナーとしての作業とともに、デザイン教育につも重要な役割を果たし、現アアルト大学等でデザインの教鞭を取るなど後進の指導にもあたりました。
 

最後の展覧会、テーマは「日本との邂逅」。
 
日本から持ち帰った蛸壺

市井の農家にて カイ・フランク自身の撮影

1989年、カイ・フランクが亡くなったこの年、最後の展覧会がヘルシンキ美術デザイン大学ギャラリー(UIAH Gallery)で開催されました。「ルニング賞での日本への旅行 1956 ―アジアにおけるひとりの野蛮人―(Lunningmatka 1956 “ En Barbari I Asien ”)」と題したこの展覧会では、日本の市井の写真や日本から持ち帰った鉄瓶、お面などとともに、フジツボが付着した蛸壺が象徴的に飾られました。日常で永く使い続けられる必然性こそデザインの本質であることを伝える意図が、そこにありました。
 

以下、カイ・フランクに関する主な書籍をご紹介します。 
本書は、カイ・フランクのデザイン思想を理解する上で重要なエッセイや講義録を一冊にまとめた貴重な書籍です。掲載のエッセイは、フィンランドのデザイン協会機関誌「ORNAMO」やスウェーデンの工芸協会機関 「FORM」に掲載されたものが中心。講義録はヘルシンキ大学でのものなど。出版は、彼の最後の展覧会が開催され、旅先ギリシャのサントリーニ島で亡くなった年1989年。
カレリアのライ麦固パン

本書で印象的なのは、裏表紙にも掲載されている「カレリアのライ麦固パン」。パンには穴が開けられ、そこにバターを入れ携え野良仕事に出かける。昼食は、詰めたバターをつけながらパンを食べ、食べ終わった後には、持ち帰るものも掃除するものも何もない。フィンランドの普段の生活のなかに息づくデザインの究極の姿がここにあるといいます。
また本書には、紫式部がどのように自然情景を感じていたのかという一節があります。カイ・フランクは若い頃から、日本への強い興味を抱いていたといいます。
1992年、ヘルシンキ、デザイン美術館(Taideteollisuusmuseo)及びニューヨーク近代美術館(MoMA)にて「カイ・フランク回顧展」が開催されました。カイ・フランクのデザイナーとしての半生約50年間に生み出された作品を(テキスタイルデザイナー時の作品も含めて)一堂に会した作品展だったといいます。本書は、この回顧展を踏まえ出版された初の総合的な作品集となります。
初期のテキスタイルパターンデザインから始まり、アラビアの陶器、ヌータヤルヴィのガラス製品などがモノクローム写真と(一部カラー)解説付きで丁寧に紹介されています。
カイ・フランクのスケッチを活かした装丁デザインがとても魅力的です。
ちなみに、「Muotoilija」はフィンランド語、「Formgivare」はスウェーデン語で「デザイナー」を意味します。
 

生誕100周年を記念して2011年に出版された主な書籍は3冊あります。

上記2冊は生誕100周年記念回顧展を踏まえ出版された作品集であるのに対し「KAJ & FRANCK」は、同時代を生きたデザイナーのインタビューにより「カイ・フランク」を描きだしている点に特徴があります。
内容となるストーリーはどれもシリアスであり、ドラマチックでもあります。例えば、アパレルデザイナーのヴオッコ(Vuokko Nurmesniemi)。彼女はカイ・フランクの教え子であり、ヌータヤルヴィで共に働いた時期もありました。オイヴァ・トイッカ(Oiva Toikka)は、最も深い関係にあったヌータヤルヴィの同僚でした。カイ・フランクの陶磁器シリーズをガラスのTeemaへと昇華させたヘイッキ・オルヴォラ(Heikki Orvola)。共にプラスチックのテーブルウェアを開発したタウノ・タルナ(Tauno Tarna)。最後にギリシャサントリーニ島へ共に旅した石本藤雄(Fujio Ishimoto)。様々なデザイナーの視線から人物像が浮き彫りにされ、カイ・フランクが〝カイ・フランク〟である意味を強く感じさせる内容となっています。

表紙の写真は、ヌータヤルヴィ村の家の前で撮影されたポートレート。オイヴァ・トイッカ家のアルバムに保存されていました。
 

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