フィンランドのテキスタイルアーティスト DORA JUNGの美しい本

Dora Jung


ヘルシンキ市南端にあるカイヴォプイスト公園(Kaivopuist)。海と空の青、そして豊かな緑の景色が広がるこの公園にドラ・ユング(Dora Jung1906-1980)は居を構え、デザインの構想を練っていたといいます。

1929年、中央芸術工芸学校(Taideteollisuuskeskuskoulu/現アアルト大学)に繊維部門が開設されるとともに入学。1932年卒業し、自身のアトリエDora Jung Textilを設立しました。

ARTEK創立者マイレ・グリクセン(Marie Gullichsen1907-1990)のサポートもあり、アイノ&アルバー・アアルト(Aino1894-1949&Alvar Aalto1898〜1976)との協業によるサボイ・レストランインテリアデザイン事業(1937年)など、様々なキャリアを積みました。

一方で、参加事業に自身のデザインによるテキスタイルを提供する都合もあり、大量生産可能なジャガード織機を導入したタンペラ社との協業も開始。

1939年〜45年のソ連との大戦により活動の中断も余儀なくされましたが、1947年ARTEK主催の展示会に参加。翌1948年には初の個展をストックホルムで開催するなど、戦後は、それまで蓄積してきたデザインのエッセンスを存分に発揮しました。

とりわけ、1951年、54年、57年とミラノトリエンナーレで立て続けにグランプリを受賞。伝統的なダマスク織りを北欧モダンの世界に組み替えた作品群は、国際的な注目を集めました。

氏の作品の特徴は、モチーフの輪郭を強調し色調を抑えたものでしたが、1958年アメリカへの視察旅行を経て色彩の新たな捉え方を見いだしました。1960年のミラノトリエンナーレには、斬新な色使いによる印象的なQuattroを出品。ダマスク織りがアートの新しい表現手法であることを世に広く知らせることになりました。

1972年にデザインされたPerhonen(Butterfly)は、タンペラ社に提供した最後の図案となり、1980年クリスマス直前に亡くなりました。国際的に高い評価を集めたタンペラ社ダマスク織り工場は翌年1981年に閉鎖となりました。

Dora Jungの、デザイナーとして歩んだドラマチックな人生が、美しい写真とともに構成された素敵な一冊です。


Dora Jung
Dora Jung


ドラ・ユングの作品をオンラインショップで見る >> elama.jp

このブログの人気の投稿

BIARDSがあまりにも有名な
あのオイバ・トイッカの絵本 【 Oiva Toikka AASINSILTA 】

アラビア・パラティッシのデザイナー
Birger Kaipiainenの本

北欧スウェーデンのブックデザイン《 新刊本編01 》

アストリッド・リンドグレンのALLA SKA SOVA(みんなおやすみ)